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2005年 05月 04日
席を譲らなかった若者 (らくだのひとりごと)
年金とシルバーシート (BLOGニュース速報) とある土曜日の全日練の帰り、膝が痛くて座りたいと思っているのに目の前の座席には元気そうなおばさん三人衆。というシチュエーションがありました。おばさんうるさいし。 上の記事の内容とは少し違うけど、抱いた気持ちは似たようなもんだな、と。まあ愚痴はここまでってことで。 ちょっと疑問に思ったのが、「席を譲って欲しい」故に老人が嫌味を言ったのかどうかということ。ただ単に「茶髪にサングラスの若者」に反感を持ったのかもしれない。元々若者全体に偏見があったのかもしれないし、若者の態度に非があったのかもしれない。現場を知らないわたしにはその判断がつかないのだけれど。 若者に関しても然りで、老人の嫌味に反感を持ったから反論したのか、それとも元々「ふてぶてしい老人」を嫌っていたのかもしれないし、もしかしたらとても自己中な人なのかもしれない。 ただ、老人に驕りはあっただろうし、若者の反論にも非があったのだろう。 というか、席を譲る譲らないの問題に、両者の実情や政治的な背景を絡めたってどうしようもない。ふたりの背景に想像の余地はあるが、それをすると切りが無いし議論が迷走してしまう。 相手の事情を理解しようと勤めるのは日本人的な性質が垣間見れて面白いのだけれど、論点はそこではない。 道徳的に考えると、「思いやる心を持とう」という訓話的な結論が出てくるがそれはあくまで理想論だ。嫌味を言われれば反感は持つだろうし、自分が辛ければ悠々と座っている他人に嫌味のひとつでも言いたくなるだろう。疲れているから座りたい、それは当然の欲求だ。だがそれ以前にこの話が「若者対老人」であるということが分かりにくさに拍車をかけている。 「自分の欲求が必ずしも受け入れられるものではない」と、幼少期に誰もが学習する。(保健か家庭科の教科書より。でもおぼろげ) 電車内という公衆的な場所ならば尚更だし、それを理解しない・理解しようとしない人はどうかと思うのだ。(人と表記したのは、保護者の引率なしに電車に乗れるような全ての人間、という意味合いで) 立つのが辛そうな人に席を譲るのは座っていた人たちの善意。「具合が悪いので譲って欲しい」等頼むのは立つのが辛い人たちの権利。だが「座席を譲ってもらう権利」や「座席を譲る義務」はありえない。いずれも各々の善意や譲り合いで成り立っているのだ。 昔、自分にとっては年配者や立つのが辛そうな人に席を譲るのは当然だったし、座ることに大した意味は見出していなかった。だが最近になって思うのは、若者だって疲れてることもあるし、立つのが辛い事だってあるということ。老人に限らず、おじさんおばさん世代にもある傲慢が、電車内に限らず社会全体を窮屈にしているんじゃないか、とも思うわけだ。 少なくともわたしがその若者だったら、そのじいさん一行には席を譲らなかっただろうな、と。関わり合いが面倒で譲ったとしてもそれは善意とはほど遠いところにあるということだ。 長ったらしい上に分かりにくくて申し訳ない。(高校生BLOGランキング)
by itsuki258
| 2005-05-04 11:53
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